かっこいい題名が思いつかなかったです()

私は、とあるイベント……まあ、「ご注文はうさぎですか展」に行けなかった。

理由は単純。受験生だし、時間がなかったから。そんな中、twitterのTLでとあるツイートが流れてきた。内容は、「ごちうさ展には無理して時間作ってでも行くべき」というものだった。見た時、その通りだとも思った。受験生なら、移動時間を上手く使って勉強すれば良いとも思った。

だけど、私は行けなかった(行かなかった)

理由、ごちうさに対する想いは強い自信はある(たまに無くしてるけど)だけど、それ以外の部分で、弱い面が出てしまう。もっと言えば、本気で行きたくても、本気でそれが好きでも、勇気が出せない小心者もいるということだ。

 

だから、ツイートをした人に、そういう人の事を考えてから言って欲しいと思った。

だけど、すぐにもう1つの事に気づいた。

 

「それって、そんなに簡単にできる事じゃないよね」

 

相手は悪くない。実際に私が相手の立場だったら、同じようにそういう人の事は考えずに言っているだろう。いや、それが普通なのだ。

 

ここまで来ると、もはや混沌。こっちは少し嫌な思いをした。だけど、相手に非は無い。

アニメなどにある、お互いの正義が存在するのと同じような感覚だ。

未だに、答えが出せていないのだ。

 

 

違うこととしたて考えさせられたこと

 

全く同じ考えを持つ人はいないんだから、何もかも理解し合うということは不可能だということ。

「共感」とは、あくまでも「共感」にすぎないということ。

 

また違う話になってしまうが、例を挙げるならば、スポーツの審判がたまにしてしまう誤審。私自身、審判をすることがとても怖い。誤審してしまった時が本当に怖い。だから、自分が出ている試合などで、誤審をしてしまった人は、「しょうがない」とか、見方によっては最低だが、「可哀想に」などと考えるようにしている(よっぽど酷いものや、大事な大会は除く)

それと同時に、責められるの怖いだろうなとも考えたりしている。慣れてない限り、責められるというのは苦痛でしかない。何より、責められるということ自体、慣れることが難しいのだ。

だが、実際に自分が誤審をした場合は、そのように思っていた何倍も怖い。そう、怖い気持ちを分かっていた気でいて、全然分かっていないのだ。

 

だから、相手がどんな気持ちなのかを理解しきるのは、本当に難しい。それを、実体験も含め、改めて学ばされた気がした。

 

 

 

 

 

 

なんか伝えたいことを書ききれてない気もするし、かっこつけて変な書き方もしたから、書いてる文章が酷すぎて意味わからなくなってたら本当にすみません()

 

でも、こう思っていたことは事実なので。